ご挨拶 「日本一、世界一を目指して」

ご挨拶 「日本一、世界一を目指して」
はじめまして。 2025年よりTOHO Racingチームのオーナーになりました、株式会社シンコウの村上裕介です。
私は、TOHO Racingを創立した福間勇二会長の影響で大型二輪免許を取得し、バイクを購入してツーリングに出かけるようになりました。 その後、サーキット走行を勧められたことをきっかけに、レースを始めるようになりました。
福間会長が 「バイクの世界なら日本一、世界一を目指せる」 という夢を掲げてチームを運営していることを知り、その言葉が自分の中に深く染み込みました。 そして、私もその夢を引き継ぎたいと強く思うようになりました。自らがグリッドに着き、スタートを待つときの緊張感は、日常生活では味わえないものであり、生きていることを実感する瞬間です。レースには、人を感動させる体験が詰まっています。
今季、一緒に戦ってくれる國峰啄磨選手、作本輝介選手も、懸命に1番を目指すライダーです。彼らの挑戦は、見る者の心を動かします。その感動を、より多くの方々と共有したいと考えています。簡単な道のりではありませんが、真剣勝負のレースで培われた確かな技術とノウハウを蓄積し、モータースポーツの発展や広島県への地域貢献にも取り組んでまいります。
私たちの挑戦は、まだ始まったばかりです。皆様の温かいご声援を、どうかよろしくお願い致します。
チームオーナー 村上裕介

村上裕介 略歴
村上は広島県の呉で生まれました。幼少期から野球を始め、中学では頭角を現し野球の強豪高校からスカウトされて甲子園を目指しました。ポジションはピッチャーで期待の選手として多くのメディアに取り上げられる逸材でした。未来のプロ野球選手として期待されていましたが、肩を酷使したことから、高校2年生の頃から痛み止めを打って投球するようになります。現在では選手のケアを考えることは当然という風潮ですが、村上の時代は無理をしてもプレーを続けることがあり、村上も痛みがあると声を上げることを自分に許さなかったのです。歯を食いしばり懸命にチーム員と練習を重ねましたが、甲子園でマウンドを踏むことは叶いませんでした。
同じチームで汗を流した仲間や、切磋琢磨した同世代からは、プロ野球で活躍している選手が大勢います。村上は高校3年まで投げ続け、肩は限界にきており、プロ行きを断念せざるを得なかったのです。寝食を忘れ、明けても暮れて野球だけに打ち込んできた村上は、今後の人生を考えることになりました。
「野球関連でできることはないかとも考えましたが、それはかえってつらくなると思いました。まったく違うことをしようと高校を卒業し、就職して2年間製造会社で働き、20歳で独立しました。起業して、今年で13年目になります。」
会社を興して10年が過ぎ、30歳の時にTOHO Racingのオーナー福間勇二と仕事を通じて出会いました。福間からツーリングに誘われた村上は、大型免許を取得して900ccのバイクを購入しました。ツーリング仲間となり、峠を走るようになりますが、アクセルを思いっきり開けるのならサーキットが良いと思い、サーキットを走るようになりレースに参戦するようになりました。
「もともとバイクに興味はありましたが、福間会長と出会い、バイクの面白さを教えてもらいました。サーキットを走ることにはまるようになりました。スタートを待つグリッドでの高揚感、ドキドキは、最高の感覚です。自分はまだまだなのですが、これからも努力したいと思っています。」
村上はTOHO Racingが参戦した全日本ロードレース選手権や鈴鹿8時間耐久にも観戦に訪れ、レースへの理解を深めました。そして、2025年、福間はTOHO Racingを村上に引き継ぐことになります。
「バイクで日本一、世界一を目指して福間会長は、目標を掲げてチームを運営されていました。福間会長が退かれると聞き、自分も福間会長のように日本一、世界一を掲げて挑みたいと思い引き継がせてもらうことになりました。学生時代は野球で1番になることを目指して頑張っていました。その時の気持ちを思い出しています。
レースに関してはわからないことも多くありますし、簡単に行くとは思っていませんが、福間会長に相談に乗っていただきながら、皆さまの助けを借りてチームワークを武器に真摯(しんし)に挑みたいと考えています。応援してくださる方々に、楽しい、面白いと言っていただけるレースを届けたい。たくさんの方に応援していただけるチームになれるように努力してまいります」
レースの魅力を多くの人に伝え、支援者を増やしながら夢を追いかけ、TOHO Racingは歩んでいきます。
TOHO Racing